称号 | 株式会社フミヤスポーツ |
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住所 | 〒168-0081 東京都杉並区宮前2-14-28 |
TEL | 03-5930-8881 |
FAX | 03-5930-8882 |
設立 | 昭和27年3月31日 |
資本金 | 壱千萬円 |
役員 | 取締役会長 倉光 哲 代表取締役社長 倉光 美也子 取締役 四方田 美樹 執行役員 竹内繁広 監査役 近田 美佳 |
顧問弁護士 | 深山・小金丸法律事務所 |
事務所 | テニススクール 池袋コミュニティ・カレッジ(西武池袋百貨店) スパ白金会場(港区白金) エーススポーツプラザ市川(市川市塩浜) 相娯園会場(世田谷区仙川) テニスショップ 池袋店(池袋西武百貨店8F) 品川店(品川プリンスホテル内) 外部販売部(本社内)、学校販売部(本社内) オンライン事業部(本社内) |
従業員 | 62名 |
主要取引先 | 明治安田生命 西武そごう百貨店 JFEスティール プリンスホテル 第一生命 明治神宮外苑 東京海上日動火災保険 京王百貨店 |
主要仕入先 | グローブライド㈱ ㈱ダンロップスポーツマーケティング ヨネックス㈱ アメアスポーツジャパン㈱ ㈱ゴールドウィン ゼット㈱ ブリヂストンスポーツセールスジャパン㈱ ㈱SSK ㈱ゴーセン |
株式会社フミヤスポーツHistory
フミヤスポーツは、1952年3月池袋にデビスカップ(※1)日本代表でもあった倉光哲の父、倉光安峯(※2)が創業しました。
西武百貨店池袋本店前にスポーツ用品販売店をオープンし、スポーツ談義で親睦を深めてもらいたいと喫茶を併設。西武の堤オーナーもよく顔を見せていました。
その後、社屋を新設し、西武グループとも絆を深めていきました。
1969年には、池袋と渋谷の西武百貨店内に「フミヤテニスショップ」をオープン、また東伏見に「フミヤテニススクール」を開設、まさに現在のフミヤに繋がる記念碑的な年となりました。
その後も精力的に活動の幅を拡大して行き、1976年には第一生命相娯園グラウンド内に「相娯園フミヤテニススクール」を開校、1983年にはこの相娯園グラウンドでテニスの小学生日本一を決める「全国小学生テニス選手権【ZENSHO】」を開催するまでになりました。
今世界で活躍するプロ選手のほとんどが【ZENSHO】の出身者です。まさにプロへの登竜門となり、現在に至るまで毎年開催されています。
さらに、名門と謳われた高級テニスクラブ「湯河原ラケットクラブ」をはじめ、全国のテニスクラブの企画立案から完成・運営までをプロデュースさせていただき、テニスファンを魅了してきました。
倉光家のお家芸となるライジング打法は、創始者倉本安峯が故郷鳥取の土蔵の壁を相手に毎日毎日影に穴が空く程練習していたところ、すぐにボールが返ってきてしまうので、長く続かせるためには、ボールの上りっぱなを打たなければ続かないところから、必殺ライジング打法をえとくしたものです。
それを哲に指導し、ライジング打法をくしして教えの成績をおさめていくことになりました。
1999年、倉光哲が代表取締役に就任。プロテニスプレーヤーとして活躍した経験や実績を武器に、レジェンドとして親子二代にわたり「テニス愛」に溢れた会社経営を実践しています。
精力的にテニスの講習会等を開催し後進の育成にも尽力、倉光哲自身のプロテニス経験から「ライジング打法(※3)」を推奨したレッスンを展開、現在世界で活躍している錦織圭選手もこれを実践しています。
更にコーチ育成にも力を注ぎ、都内近郊のテニススクール運営を受託し、テニスの楽しさや深さを、テニス初級者から上級者まで皆で共有する事業も行っています。
テニスを通じて「スポーツ立国日本」を目指し、「テニス全方位」をモットーにフミヤスポーツは歴史を重ねて参りました。
老若男女、もっとたくさんの人たちにテニスに触れて欲しい、その強い思いを胸にこれからもフミヤスポーツは歩み続けて行きます。
※1 デビスカップ:1900年から毎年行われている男子テニスの国別対抗戦。
※2 倉光安峯:関西大学でダブルス連勝を重ねながら日本のテニス界に揺るぎない地歩を築く。全日本学生選手権でシングルス優勝。その後、デビスカップ日本代表に選ばれ2回戦まで進む。4大大会では全仏でシングルス2回戦まで進む。
※3 ライジング打法:ボールのバウンドが頂点に行くまでに、相手のスピードを利用してヒットし先手を打つ打法です。伊達公子選手もこの打法で世界のトップレベルになりました。日本でこれを初めて実践したのが倉光哲です。
1952 | 豊島区南池袋1-23-2にスポーツ用品販売と喫茶店を経営 | |
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1962 | 木造社屋を地下1階地上5階の鉄筋ビルに新築 社屋新築と同時に社名を株式会社フミヤスポーツに変更 |
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1969 | 09 | 西武百貨店池袋本店内にフミヤテニスショップを開店 |
10 | 西武百貨店渋谷店内にフミヤテニスショップを開店 | |
12 | 東伏見フミヤテニススクールを開設 | |
1973 | 04 | 桜台西武フミヤテニススクール(練馬区桜台)を開設 |
1974 | 05 | 吉祥寺近鉄百貨店内にフミヤテニスショップを開店 |
1975 | 03 | 富士見ヶ丘フミヤテニススクール(世田谷区北烏山)を開設 |
04 | 品川プリンスホテルにフミヤテニスショップを開店 品川プリンスインドアテニススクールの運営を受託 |
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05 | 関連会社株式会社クラミツプラモートを設立 | |
1976 | 07 | 第一生命相娯園グラウンド内に相娯園フミヤテニススクールを開設 |
1979 | 04 | 西武テニステック(池袋西武コミュニティカレッジ)スクール運営を受託 |
1982 | 04 | 西武ライオンズ球場インドアテニススクール運営を受託 |
1985 | 09 | トムフミヤテニススクール運営を受託 |
1986 | 04 | スパ白金テニススクールのスクール運営を受託 フミヤ横浜インドアテニススクール運営を受託 |
11 | エーステニスプラザ稲毛クラブ及びスクール運営を受託 | |
1988 | 07 | 西武池袋店前にフミヤスポーツマッサージを開院 |
09 | 井の頭線、富士見ヶ丘駅前にフミヤテニスショップを開店 | |
1989 | 10 | 品川プリンスホテル高輪スポーツセンター内フミヤスポーツマッサージを開院 |
11 | フミヤジュニアテニスアカデミー(北野アートテニスクラブ内)を開設 | |
1990 | 03 | 高松フミヤテニススクールを開設(練馬区高松) |
1992 | 03 | 高井戸ダイヤモンドテニスカレッジスクール運営を受託 |
04 | エーススポーツプラザ市川のクラブ及びスクールを受託 | |
1993 | 09 | 伊勢丹百貨店新宿店内にフミヤテニスショップを開店 |
1999 | 倉光哲が代表取締役に就任 | |
2006 | 05 | そごう千葉店内にフミヤテニスショップを開店 |
2007 | 12 | 池袋コミュニティーカレッジスクール運営を受託 |
2010 | 03 | 学校テニス部対象の学販事業スタート |
株式会社フミヤスポーツは、初代社長 倉光安峯が昭和27年3月31日に池袋の地に創立し、令和4年には70周年を迎えます。
初代・二代目ともにランキング上位のテニスプレーヤーであったため、テニスショップ・テニススクールとテニス一筋に事業を拡げてまいりました。
弊社は、テニスを通して健康で生き生きと笑顔のある明るく元気な社会を目指し、皆様に居心地の良い場所づくりにも力をそそいでまいりました。
また、社内的には愛社精神とチームワークを大切に一人一人の個性を伸ばし、生かしていけるような組織作りを進めております。
今後は、一人一人を大切に違いを超えて共生できる社会を目指し、皆様と共に歩んでまいりたいと考えております。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
フミヤスポーツは、「全国小学生テニス選手権【ZENSHO】」を35年間運営し、支えてきました。 「全国小学生テニス選手権【ZENSHO】」は全国5,000人以上の小学生テニスプレーヤーの
現在プロ選手として活躍する選手のほとんどがこの大会の出身者です。 岩渕聡(第五回)、鈴木貴男(第六回)、添田豪(第十四回)、錦織圭(第十九回)、奈良くるみ(第二十一回)、内山靖崇(第二十二回)、尾﨑里紗(第二十四回)、西岡良仁(第二十五回)、大島立暉(第二十八回)など錚々たる顔ぶれです。
フミヤスポーツと倉光哲は、公益財団法人日本テニス協会、第一生命保険株式会社とともに大会主管として、またトーナメントディレクターとして全ての大会を支えてきましたが【ZENSHO】として根付いたこの大会は、今後もっと広く注目されるべきだと考えています。子供たちのひたむきなテニスへの情熱をもっと熱く受け止め、世界に通用する選手育成の登竜門として環境を整えていくことが、私たちの使命だと思っています。
日本はシニアを高齢者と分類していますが、英語の「シニア」は上級者の意味合いを持っています。シニアは「人生の上級者」なのです。智恵と示唆に富んだシニアがアクティブにテニスを楽しむ。またファミリーで取り組めるスポーツとしてもテニスは、もっとも安全で健康・長寿に最適なスポーツです。子供たち、ご両親、シニアの方々がテニスの話題で盛り上がり、日本に素晴らしいスポーツ文化を根付かせるために、「リクリエーションを、リ・クリエーション」する。そんなアクティブな構想を持っています。
倉光 安峯(関西大学卒)
倉光 哲(立教大学卒)
池袋の街が、現在から想像できない程、牧歌的で昭和の景色が色濃かった1952年の創業から70年以上、フミヤスポーツはずっとテニス事業に携わって来ました。創業者・倉光安峯は自身が一流のプロテニス選手でした。そのDNAは現・代表取締役倉光哲に引き継がれ、プロテニス選手として輝かしい成績を残しています。フミヤスポーツはこの二人が持つ「テニス愛」が幹となり、テニス事業に関する様々な実績を残して来ました。
テニススクール・クラブの運営や開設及びショップの開店は勿論、テニス大会の企画から実施、さらにテニスコートのプロデュースまで幅広く。フミヤスポーツでは今後の事業拡大のために、新たにソリューション事業「フミヤスポーツソリューション」を立ち上げました。 お客様が求めている想いを細部まで聞き入れ、「全てはテニスのために」をモットーに、様々なニーズにお応えします。企画立案から実施・運営、またそれに伴うツールや媒体までトータルで手掛けます。
また、フミヤスポーツと倉光哲のネットワークは、ビジネス交流会の開催も可能です。テニスで一緒に汗を流し、精神的にも解放された状態だからこそ生まれる本音コミュニケーションから、新たなビジネスが生まれるとしたら、こんなに嬉しいことはありません。 ソリューション事業「フミヤスポーツソリューション」は、70年以上培って来たノウハウを活かしながら、今まで思いもよらなかったような新鮮かつ斬新な切り口で、あらゆるテニス事業に挑戦します。
1983年から開催している小学生日本一を決める「全国小学生テニス選手権【ZENSHO】」 現在プロ選手として活躍する選手のほとんどがこの大会の出身です。そしてプロを目指す選手達はその後、国内外でトレーニングを積み成長して行きます
現在日本のテニス事情としては、世界大会等で活躍する選手のほとんどは海外に渡り、武者修行に励んでいます。これはやはりコーチ陣やトレーニングプログラムが日本国内よりも優れている、またレベルが高い、という事実があります。私たちはこのことを真摯に受け止めなければなりません
フミヤスポーツと倉光哲の長年の課題は、海外に頼るだけでなく国内でのエリート育成を目指すということです。【ZENSHO】から巣立った選手たちを、精神的にも肉体的にも日本人だからこそできるキメ細やかなサポート体制で育てたい、これは本当の意味での国内に於けるテニス文化の発展のためには完成させて行きたい道でもあると考えています。
【ZENSHO】で出逢えた、世界を目指す小学生選手たちを応援するシステムの創造、これがフミヤスポーツと倉光哲が描くドリームです。
例えば、野球なら「甲子園」、ラグビーなら「花園」というような聖地と呼ばれる場所があります。 毎年相娯園グラウンドで開催されている【ZENSHO】は、プロへの登竜門として実績を重ねてきました。まさに選手たちにとって、本格的な出発の地のひとつが相娯園であると自負しています。
テニスの聖地」を新たに創り上げること。それはMade in Japanであること。
そのためには今以上のコーチ陣の徹底的な育成とトレーニングプログラムの構築が必須課題です。そう、海外に渡らずとも世界で通用する選手育成ができるシステムの創造が必須となります。 国内で行う世界に通用する選手育成システムを具体的にカタチにするために、「スポーツ立国・日本」として取り組んでいきたいと考えています。